そのひとの人生に、
そのひとと同じ熱量で向き合う。
入社から2ヶ月で担当を任され、その1年後には営業に抜擢されました。圧倒的な実績があったわけではありませんが、評価されたのは「前のめりな姿勢」だったと思います。当時は、毎日、朝早く出社し、夜遅くまで勉強に取り組むのは当たり前。土日も、個人的に自己研鑽を続け、「誰よりも努力できること」が自分の武器だと思っていました。
最初は大阪オフィスに所属し、その後はさらなる成長を求めて東京へ。エリアが変われば顧客の特性も異なります。大阪では美容師や建設業など職人肌の経営者が多いのに対して、東京はITやコンサルなど無形サービスが中心です。数字の見せ方や求められる提案の仕方も変わります。拠点をまたいで経験を重ねたからこそ、あらゆる業種の知見や提案の幅も広がったと思います。
最初は大阪オフィスに所属し、その後はさらなる成長を求めて東京へ。エリアが変われば顧客の特性も異なります。大阪では美容師や建設業など職人肌の経営者が多いのに対して、東京はITやコンサルなど無形サービスが中心です。数字の見せ方や求められる提案の仕方も変わります。拠点をまたいで経験を重ねたからこそ、あらゆる業種の知見や提案の幅も広がったと思います。
なかでも、渋谷オフィス時代に出会ったクリーニング店の経営者とのご縁は特に印象に残っています。開業当初は大赤字に苦しんでいましたが、勤怠管理の見直しや人材配置の最適化を提案することで改善の糸口を見つけました。それまでは店舗に勤務していた店長を、あえて工場に配置し直したことで、全体の生産性とモチベーションを高めることができました。その後、売り上げは改善し、今ではネイルサロンや不動産業など多角的に事業展開されるまでに成長されています。
いつからか事業の話だけでなく、ご家族のことを語ってくださるようにもなり、ある日、お母さまが癌で亡くなられたことを打ち明けてくれました。その瞬間、「自分は、ただの外注先ではなく、経営者の人生そのものに伴走しているんだ」という実感が芽生えました。そのひとの人生に、そのひとと同じ熱量で向き合う。こうした関係性は、他の会社では築けなかったかもしれません。
いつからか事業の話だけでなく、ご家族のことを語ってくださるようにもなり、ある日、お母さまが癌で亡くなられたことを打ち明けてくれました。その瞬間、「自分は、ただの外注先ではなく、経営者の人生そのものに伴走しているんだ」という実感が芽生えました。そのひとの人生に、そのひとと同じ熱量で向き合う。こうした関係性は、他の会社では築けなかったかもしれません。



